Tosastudy

戦国勢力図


1.目次

(現在掲載中:1560~1591年)
1560年
1570年
1580年
1590年

2.年次勢力図

1560年

上杉謙信の小田原城包囲

1561年

今川義元,田楽狭間にて討死。
伊達家,出羽に圧力を強める。
斎藤道三死す。

1562年

上杉謙信の撤退。
斎藤義龍死す。

1563年

清州同盟が正式に結ばれる。
大内家の凋落が顕著に。
上杉,越中へ伸長。

1564年

大内家,此頃には殆ど九州領のみに。
三好長慶死去。義継。

1565年

大内家,大友に博多を奪われる。

1566年

織田信長,斎藤龍興を滅ぼす。
尾張・美濃2ヶ国平定。

1567年

毛利家,伊予侵攻作戦を始める。
織田信長,三好三人衆を
京より放逐。

1568年

毛利家,東にさらに勢力伸長。

1569年

織田信長,伊勢などにも進出
京周辺(天下)を手中に。
長宗我部元親,東土佐統一。
伊達家,勢力伸長。


1570年

姉川合戦にて織田・徳川が大勝。
毛利元就死す。孫・輝元が継ぐ。

1571年

織田信長,比叡山焼討。
本願寺・毛利家と対立深まる。

1572年

龍造寺隆信,九州三強に。

1573年

武田信玄死す。勝頼継ぐ。

1574年

三好,織田・長宗我部に挟撃される。
三国司の一,土佐一条氏滅びる。
第1次高天神城の戦い,武田方勝利。

1575年

伝・長篠合戦。
三段鉄砲隊の逸話があるが,
二段説や虚構説もある。

1576年

織田領内で反乱続発,一時は
畿内の支配権も危うくなる。

1577年

(各々が軍事力強化に充てた1年)

1578年

織田信長,荒木正重など下す。
耳川の戦いで大友軍が島津に大敗。

1579年

大友の凋落が顕著に。
龍造寺,大友から独立・侵攻。


1580年

長宗我部元親の阿波侵攻。
羽柴-三好の関係深化,
明智-長宗我部と対立。
御館の乱,北条と武田の対立。

1581年

第2次高天神城の戦い,
勝頼は後詰めを送らず。

1582年

武田家の完全な滅亡。
三好-織田の復交により
長宗我部と織田が決裂。
阿波にて中富川の戦い。

1582年

本能寺の変,安土城消失,清州会議。

1583年

羽柴秀吉の権力が膨張。

1583年

賤ケ岳の戦いで柴田勝家死亡。
更に織田信孝を自害に追い込む。
「昔より主をうつみの野間なれば
  むくいを待てや羽柴筑前」

1584年

小牧・長久手の戦い。
信雄が秀吉と単独講和し終結。
北条・長宗我部などはいい迷惑。
沖田畷の戦いで龍造寺隆信が討死

1585年

長宗我部元親の四国統一(?)と
羽柴秀吉の四国平定,
高野山攻め。

1586年

四国仕置,羽柴秀吉の本姓(氏)は
平氏から藤原氏(近衛前久の
猶子(相続権のない養子))に。
関白宣下。(関白相論への口出し)

1587年

大友からの救援要請を受け,
九州征伐が始まる。
戸次(へつぎ)川合戦で四国軍大敗。
これにより仙石秀久改易。
元親,大隅国加増を固辞。
島津貴久死去。

1588年

島津家,秀吉に降伏。

1589年

九州仕置。島津家は南九州の
本領のみ安堵。


1590年

北条攻め。遅参した伊達は
蘆名家を滅ぼしたことを
咎められるも赦免。
最上は父の葬式で遅参。
事前報告していたため咎めなし。

1591年

奥州仕置,家康,江戸を作る。

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