Tosastudy

灼熱都市・徳島



 この高速道路もやはり、約1年間使われていないからか、荒れ放題である。しかし橋梁やトンネルの存在が本当に有り難い。下道を通れば地獄の行軍も、数少ない自動車を全て供出して結成した自動車100台の部隊は1日もしない間に川之江を越えて徳島県境に辿り着く。高速道路ではあるが、道中の安全に備えながら進んでいるため、そこまで速くない。とはいえ出発1日前に先鋒車を走らせ、道中の安全を確認しながら進んでいるので、時速70kmは出せている。途上、何人かの生存者を見つけ、話を聞く事が出来た。それらの話を総合するに、徳島の光環は恐らく徳島市内にあり、やはりムツデが出てくるのは変わらないという事、ムツデは美馬以西あたりから多く出始めるという事だった。そこで美馬まではこれまで通りの速度で向かい、そこからは警戒しながら向かう事とした。高速道路を通れるので、徳島市内まで一直線である。藍住あたりで一旦様子を見てみよう、として一斉停車した。というのも、この徳島には追越車線が無いのだ。道中に停車している車は先鋒隊が迂回路を作るか対向車線にズラすかしており、行軍は実にスムーズだったのだが、藍住から徳島に掛けて、除去できない程の車が居るのだ。つまりは永遠の渋滞だ。動く事の無い自動車群が両車線を覆い、徒歩行軍せざるを得なくなっているのだ。これから向かう先でもこのような事はあろう。そう思いながらも、歩き始める。この変わり果てた世界で唯一良い事は、悲しくも生存者が殆ど居ない事だ。故に、泥棒も居ないため、色々置いていっても全く問題が無いのだ。恐らく徳島も、我が故郷同様にガス弾によるゾンビ化とムツデによる掃討が行われたのだろう。敵の攻撃はいたって単純で、効率的なものだった。しかしそれを生き抜いた者が我が県下には数千人居たのだから、徳島にも同様に居てもおかしくない。出来ればそういう勢力の協力が欲しい所だ。そうして藍住から徒歩で行軍しつつ、生存者を探す。しかしながら居るのはムツデくらいで、人が居た痕跡すら見つからない。高速道路上からなら仕方ないと思いながらも、全く見つからない。生存者はどこかに集まっているのだろうか。鳴門や祖谷(いや)の方へ向かったのだろうか。そう思っていると、ムツデが一斉に徳島市街に向かい始める。これに気付いた我々はすぐに進軍を停止し、車の陰に隠れつつ様子を伺う。角度的にあまり分からないが、ここまで来れば光柱も、うっすら見える。するとその光柱が輝き始め、同時に光環が我々の居る場所よりも更に外側まで広がった。光環内の五芒星(スター)の文様がギリギリ分かる程度の大きさ。このままでは何かに巻き込まれる。急いで撤退を開始する。光環は藍住寸前まで広がっていた。結局藍住の渋滞の終点まで戻る事が出来たものの、異境の地での戦の恐ろしさを思い知らされた。そして高速道路上での車中泊となった。幸いムツデに対する擬態面に関して、車は最高性能を誇る。止まっている車はムツデにとってあまりにありふれており、背景に過ぎない。動いていない限りはバレないのは最大の利点である。しかし今、我々は1本の線状になっており、情報共有が極めて困難となっている。そのため、暫くの寝泊まりの拠点を藍住の高速道路上に定め、高速道路から降りてみる事とした。総勢300人はやはり大きい。第2分隊、通称伊野部隊には、指揮官たる私の指示を一々仰がずとも、独断での行動権を有するものとした。正直言って人数が増えすぎれば、綿密な行動計画は出来なくなる。それ故に、より不安要素だけが大きくなる。ならば部隊を小分けにすれば良い。何も300人もの部隊が全部必要となる事など殆ど無い事だ。そうして第2分隊は分かれて西に向かった。第1分隊は私の直轄とし、藍住やその近辺を北方向に歩く事とした。昨日は徳島市街目前にして長距離撤退を強いられ、今日は疲労困憊である。ムツデも多く、倒すにも時間が掛かっている。量産式軒轅剣は「機能」こそ劣るが通常の剣の数倍以上は強く、また烏号の模造品も、通常の弓と比べると異常に強い筈だ。しかし倒すのに2撃程必要になるなど、使い手の健康状態が戦いに響く事を改めて思い知らされる状況であった。夜。300人分の食糧というものは少なく、各自持参としたのも1週間分。つまりそれ以後は徳島県内(ここ)で調達(りゃくだつ)せざるを得ない。だから無謀ではあるが、あとに6日以内に、徳島を攻略したいのである。車中泊も数日が限界だろうというのもあるが、これについてはやはり食糧問題が一番大きい。朝起きると、サイレンが鳴っている。我々はかなり驚いた。日曜でもないのにサイレンが鳴っている。つまりは普通なら火事あたりの、有事のサイレンだ。藍住にはまだ生存者が居るのか。そう思って聞いていると、広域放送が流れている。
 放送「セイゾンシ*ノミナサ**、スミヤカニ****ジョウエ、ア*マテクダ…ア*マテクダ…ア*マテクダ…****」
 生存者に対するメッセージのようだ。しかし、壊れているのだろうか。同じ音声が繰り返し響いた後、悲鳴のような声が入っている。これが1日1回、正午に流れるのである。小学校や消防署など、様々な所で同じ音声が聞こえる。どこに行っても聞こえる。不気味以外の何物でもないが、生存者は何をすれば良いのか。毎日聞いている内に、どこかに集まれという内容ではないかという推測が立った。そしてどこかの城、恐らくは徳島城に集まれという推測が立った。徳島城は徳島市内にあるが、もしや誰か居るのだろうか。確かに城跡なら防御性には優れているといえ、生存可能性も高いだろう。そうして探索を続けて3日。生存者の痕跡すら見つからない。幸いにしてあちこちのスーパーから食糧は調達できたが、打ち捨てられて1年近く経っており、そろそろこの調達も限界を迎えつつある。こんなに時が経ったのに、誰一人居た痕跡が無い。ここでけ、あの日で時間が止まったような空間だ。取り敢えず藍住を出て、徒歩で徳島城へ向かう事となり、更に1日。何の変化もなく、ただムツデを倒して進む1日。拠点たる藍住には250人を残し、第1分隊のうち50人だけで進んでいる。そうしていると徳島市街が見えてくる。するとそこにあったのは、徳島城から上に伸びた光柱であった。徳島城へ、というのは誘(おび)き寄せるための情報か。だとしても、何故?藍住を含めてここには誰も居ない。夜になれば明かり1つない。我々のように抗う者は勿論の事、細々と生きている気配すら無いのだ。誰も居ないのか。そう思って藍住に戻って夜景を眺める。無人であるが故の、無光であるが故の、光。星が綺麗に見える。人の姿の完全に消えた徳島東部で、空の光を遮るものは何もない。星座早見盤を持ってくれば、と悔いる程のものである。しかしそこに明るい光が一筋現れた。東の方向に、橙色の光線が見える。その光線に照らされて見える、その光を放つ物体の色は黒。少しでも夜闇に紛れようというのか。橙色の光は一帯を焼き尽くし、焼け野原にしていた。翌日行ってみれば、そこには生存者が居たのだろうか、新しく見える骨があった。しかし焼け焦げ過ぎていて触ったら崩れそうな程だ。昨日見た物体は少なくとも高さ10mはあった。普通ならそんなものを遠くに隠せる訳がない。恐らくは近くに置いているに違いない。探してみると、すぐにそれらしいものは見つかった。奴等の用いている電源や、構造についても役立つだろう。動力源についてはやはり首元にある石であった。夜闇に浮かぶ怪物が昼間動いていなかったのは幸いだった。しかし夜になったら動くのであれば、これを乗っ取る事はできないだろうか。すぐさま分解し、石で遠隔操作している事を突き止めた我々は、石を取り替えて動かし始めた。更にこの怪物が焼いたであろう人物の仲間も見つかった。やっと人が見つかったと思えば、彼らは協力する気がないらしい。お前らに助けられる道理は無い、出て行けというのも分かる。何故なら我が県と徳島には深い因縁がある。事ある毎に比べられ、様々な分野で最下位争いを演じ、終(しま)いには両県合同という屈辱を、明治政府や今の日本政府からも押し付けられる。両県が同じ意見となるとすれば、それはこの世の末か、もしくはこの強制的な合一への反発の2択である。また徳島にとって特に屈辱的な歴史は幾つでもある。長宗我部の征服に始まり、秀吉との和平の際には分割が協議されるなどの取るに足らぬもの扱い。また阿波踊りはよさこい踊りのモデルとされたものなのにも関わらず、よさこい踊りとは逆に赤字を計上し役所と市民が対立するという県の恥ともいえる醜態を晒し、「踊る阿呆に見る阿呆」という言葉は侮蔑的に取られるようになった。こうした傾向にある徳島県が、我々を敵視するのも分からない事もない。高々田舎の県同士でいがみあっても何も無いのだが。我々は徳島に勝とうが負けようが何も無いという事を説明したが、それが一層怒らせたらしい。話にすら応じてくれなくなった。彼等は徳島市街最後の生き残りらしく、北へ北へと逃れ藍住まで来たものの、あの怪物に焼かれて半数が死に、もう生きる意義すら喪くしつつあるのだという。徳島市街の状況を訊くと、ゾンビガスによって市民の大半が身動き1つ取れなくなり、その後にムツデが掃討に当たったまでは予想通りであった。しかしその後奴等は更なる新兵器としてこの光線を放つ巨大移動砲塔を導入し、徳島市内は殆どが焼かれたという。しかしこれは我々が見た徳島市街の風景と合致しない。少なくとも焼け野原にはなっていなかった。するとと生き残りの一団の1人が驚くべき事を口にした。
「彼らはアレを吸っておかしくなった」
 アレとは、と訊くと、どうやら幻覚を誘発するガスがあるらしく、それにやられたのだろうと言っている。そんなものがあるのであれば危険極まりない。しかしそのガスは徳島市街にゾンビガスとともに撒かれたものらしく、彼等が言うにはもうないとの事。案内役になるよう頼むも、誰一人として頷かない。あまりにも首を縦に振らないので、我々は乗っ取りに成功した移動砲塔の存在を仄(ほの)めかした。最早脅迫の域に近い。隣の県から山を越え、1年間廃墟となり怪物(ムツデ)や移動砲塔の跋扈する市街で敵の武器を乗っ取って脅す者が居れば、反感以外の何も感じないだろう。そう思っていたが、彼等の返答は意外なものだった。それがあるなら大丈夫、というものであった。売られた喧嘩は絶対買う事で有名な我々とは異なり、溜め込んで爆発するタイプなのだろうか。そう思ってまじまじと眺めていたが、作戦会議に戻る。移動砲塔で徳島市北まで進み、そこから徳島城を砲撃する計画だ。移動砲塔の火力は見た通りのもので、地面に直径10mの穴が空く程度のものだ。ならば射程は。そう訊くと、彼等が言うには、光線であるから届く限りどこまでも撃てるらしい。そしてまず移動砲塔を移動し、照準を合わせて深夜まで待つ。やはり深夜の方が見つかりにくいのは鉄則だろう。そして徳島城に向けて光線を発射する。これでようやく攻撃が出来る。そう思った次の瞬間、徳島城周辺に蒼い壁が現れて光線を防ぎ、更に周辺の移動砲塔からの一斉射撃を受け、あっという間に移動砲塔は破壊され、更に砲撃を受ける。このままでは全滅する。散り散りになって逃げたお蔭か、何とか皆一命は取り留めた。今回の作戦の一番良かった事は、死者が出なかった事である。そう述べると、横から舌打ちが聞こえてくる。まさか徳島県民(こいつら)はそれを知っていて敢えて向かわせたのか。すると一団の1人が、悪気は無かった、等々白状してくれる。どうやら正々堂々と戦わず、姑息な手段に出ても敵を討つのがここの原住民の特性らしい。日頃の私なら気に入るタイプだ。しかしながら。それをされるのは好きではない。危うく出撃した約100人が全滅しかけた。死者が出なかったのはほんの奇跡に過ぎない。しかもそれを舌打ちとは、よほど舐めた口を利けるものだ。口を裂いた後に傷を焼いて治らないようにしてやろうか。戦地で貴様らだけ取り残してやろうか。貴様らの片目を抉(えぐ)り出し食わせてやろうか。そう暴言を吐くのが止まらない。気付けば何故か奴等は平謝りし、私はそれを足で何度も踏みつけている。正気を取り戻すと、とんでもない事をしたのに気付く。貴重な情報提供者の裏切りに、ここまで感情的になっている場合ではない。これで互いにチャラという事にして貰えないだろうか。そう交渉して、何とか協力を維持した。しかしこの怒りは我々にとっては至極当然のもの。これでチャラにするなど本来はかなり甘いものである。こちらは生命の危機を感じたのに対して、向こうは面子(メンツ)を失った。それでチャラという事には納得のいかない者も居るだろう。しかしながら今は県同士の対立を持ち込んでいる場合ではない。互いに怨(うら)む相手でも、今は眼前の敵に対して協力せねばならない。どうか許してほしい。そう言って何とか不満を抑え込んだ。そして原住民には、本当の事を述べるよう求めた。次嘘を吐いたら、本気で挑ませて貰う。そう言いながらの頼みであった。信頼(むじょうけん)が出来ないなら信用(じょうけん)を作り出すしかない。我々と彼等の間に、最早信頼は存在しない。だから信用によって一時的協力関係を構築するしかない。そこで次のような協定を、「徳島の残党」と結ぶ事とした。第一に、両者は徳島解放に向けて協力する事。第二に、これに反した者の処断は相手方に委ねる事。第三に、徳島解放後の実権は「残党」が執る事。この三条項しかなかったが、これだけで十分だろう。徳島城へ向かうには、徳島ICあたりから南へ向かい、吉野川大橋を越えて更に1.5km程南下せねばならない。幸いにして大通りが通っているのだが、裏を返せば大衝突になり得る、第一の勝負の分け目だという事。前回撤退したのは大きな建物が乱立するあたり。地図を見せて貰うとそこは四国大学の周辺らしい。今回は第2分隊に銃後を任せ、第1分隊に加えて案内役のみで、攻め入る事とした。高速行軍、また兵力温存も兼ねて自動車道を通り、四国大学前を通り過ぎる。前回はここで光環の異常拡大を目にして撤退した。今回はそういうのは見られない。そして移動砲塔が撃破された際にクレーターだらけとなった吉野本町を対岸に臨み、そこをも通過する。あの時に吉野川橋は大半が破壊され、2度と渡れなくなってしまった。そして徳島IC。ここを前線拠点として、一斉攻撃を仕掛ける。古今東西、戦力の逐次投入は必敗の運命(さだめ)にある。その点、吉野川バイパスは兵員の大量輸送にはかなり有利だといえる。しかし道中にはやはりムツデが多数居るため、それを倒しながらの行軍となる。正直言って、隠れる場所も無ければ脇道も無い、3車線の上で戦うのは困難を極める。北詰到着時には既に負傷者が数人居るが、だからと言ってここで立ち止まる訳にはいかない。しかし予想以上に橋は長かった。それもその筈、この橋の長さは約1km。突破には3時間半要した。南詰に着いた時、無傷な者は後方に居た者だけであった。南詰まで着いたは良いが、問題はここを守り通さねばならない。既に時間は午後2時を回り、ほぼ全員が疲れきっており、敵(ムツデ)には体力の概念が無い。このまま戦い続ければ敗北必至だ。そこで防衛線を築く事とした。周囲の車を集めて壁を作り、こちらの防衛拠点にする。唯一防衛兵が可哀想な点は、もし敗れれば1kmの道のりを北上して合流せねばならない事だ。幸運な事に、我々は2本ある橋の西側を奪取したが、これが東側だと、南詰が4車線になっており防衛にはさぞ難儀しただろう。城山も大分(だいぶ)近く見える。ここを吉野川南砦と称して、ここの防衛に成功すれば徳島解放後に自宅周辺のムツデ除去を褒美とする事を生存者らに告げると彼等は挙(こぞ)って応募し、吉野川南砦には殆ど全員の34人が配備された。実は光環を破壊すればムツデも消えてしまうため、そんな事は必要ないというのは秘密だが。そして本隊は徳島ICまで帰還した。夜、生存者から受け取った地図を元に、明日の突入作戦の再検討を行う。念のため吉野川大橋の北詰も塞いでおいたので、橋の上にムツデが襲ってくる事はない。ある意味徳島ICに作った拠点よりも安全だ。そしてこの日のために秘密裏に敵から接収を進めていた3基の移動砲塔を北詰に配備し、一日が終わる。これが銃後の第2分隊に任せていた仕事であった。翌日、移動砲塔3基とともに吉野川大橋を渡る。吉野川南砦は陥落せず、よく守り抜いていたが、ムツデ数体の侵入を許し、3人が亡くなっていた。昨日まで見なかった移動砲塔に驚いていたが、これは味方にさえ「昨日接収した」と言ったので、同様にそういう事とした。朝9時。大橋から南に進軍を開始すると、向こうも気付いたのかムツデが増えてくる。この前は移動砲塔で攻撃すると、徳島城やその南の山からの砲撃が多かった。右側を見ればその痕跡も少しだが実際に目に映る。今回は限界まで近付いて発射し、その砲撃で徳島城を攻撃させたい。そこで城山に隠れるような隠れないような丁度の角度で移動砲塔を1基配置し、眉山(びざん)にあるであろう敵の砲塔を攻撃するために1基を隠し、最後の1基は城山の真北に陣取って眉山からの攻撃を受けないようにした。そして徳島城内に遂に攻め込む。城内の地図が無いため、取り敢えず北東角にある橋を渡って入る。恐らく本丸なのであろう、そこには光柱が見える。駆け上がると、やはり男が居る。我が故郷に居たのと同じ男だ。一体何度この顔を見れば済むんだ。すると男は不敵な笑みを浮かべ、こちらを向かってくる。奴等はいとも簡単に一度に数人を斬ってしまう。普通の日本刀ならせいぜい3人が限界と聞くが、あの剣にそんな限界は無いのだろうか。そして斬りつけてくる。しかしこちらには剣よりも速く射る事のできる弓矢がある。問答無用で射抜く。しかしあまりにも簡単に倒せてしまう。最期の言葉は「鳴門で待っている」だった。何があるのか。そう思っていると、上にあったはずの光柱が薄れていく。もしかしてこれはオトリだったのか。そして急いで駆け上がってみると、そこにはさっきまであった筈の光環が見えない。一瞬で鳴門に移ったとは思えない。となると偽装だったのか。それを目指して皆死んでいったのか。更に地面が震動する。嫌な予感がして急ぎ降りると、その直後、本丸一帯が崩れ落ちる。そして隠れていたのか、5から6倍は巨大な砲塔が顔を出す。そして徳島市街を一撃で焼き払う。幸いにしてあまりに近かったからか、その青色の光線には当たらなかった。その巨大な砲塔は市街を一瞬で灰塵に帰した。恐らく周囲1km以外は全て焼き尽くされてしまっただろう。どこまでか分からないが、ただ焼け野原が広がる。恐らくは橋の向こうまでも。黒い平原が広がる。物陰に隠れても無駄そうだ。ならばいつも通り接収するまで。しかしあまりに高すぎる。徳島城の標高は約60m。という事は動力源の石は恐らく40m程の高さにある。その高さまで浮上し、石を除去する事はできるだろうか。「三明の剣」でも怪しいかもしれない。取り敢えず浮上してみる。すると思ったより浮上出来たが、やはり10m程足りない。しかし城山の残骸からならば飛び上がれるやもしれない。急いで駆け上がり、光線に当たらぬように再浮上する。しかしそれでも難しい。それなら、吉野川に叩き落とせば。そうすれば、建物を利用して斬りつけられるかもしれない。身体強化による超高速移動ならば、高さを落とさずに移動する事はほぼ可能。吉野川に叩き落とす。自動制御と思しきこの砲塔、誘導すればこちらのもの。吉野川大橋跡まで誘導するため、オトリとなった者が焼け野原を走り抜ける。次々と焼かれて骨すら無くなっていくが、南詰までの道のりへの人員配置は出来た。しかし次々と焼かれていく。南詰の高架も崩れている。中途半端に焼かれた建物が崩れてくる。これを避けながら追いつかねば。吉野川まであと数百m。焼け野原に入った。遮るものは殆ど無い。最初の一撃がよほど大きかったのだろう。そして黒い平原に立つ50mの高さの砲塔。その心臓部たる石を探り出し、除去する。エネルギー源は恐らく通常の移動砲塔と同じく、頭部と胸部の2箇所。一度に切除しないといけない。吉野川まであと30m。堤防のあった所を越えさせる。大規模破壊光線のお蔭で堤防すら壊れているため、橋の残骸に立つ者が粘っている間に叩き落とす。軒轅剣の機能なら足場崩しくらい出来るだろう。全権を解放し、吉野川に突き落とす。流石は軒轅剣。吉野川に落ちかけだった砲塔を落とし、今、大通連、小通連、顕明連の3剣を合成して作った、「三明神剣」で斬り裂く。

「第87管区で水の神剣の反応が現れました」
「では今、かの小さき四国には金と水の2つの神剣がある訳だ、面白い」

 遂に砲塔を停止させた。しかし市街地は殆ど焼け野原となり、自動車道も例外ではなく、その上橋は見る限り全て焼け落ちた。このままではこれ以上北上出来ない。そこで砲塔を利用する事とした。砲塔をここで改造し、巨大な移動砲塔に乗って吉野川を越える。改造には2日掛かり、「徳島城跡(てきのラボ)」の跡地から部品を調達して渡河作戦を決行した。遮るものは何もなく、たた青空があるのみ。季節はほぼ春になり、気付けば1年経っているのだ。あの日がどんな季節だったかも忘れている。日付(こよみ)なるものは疾(と)うに意味を失った。略奪経済もそろそろ回らなくなる頃合だろう。奇跡的に無事だった徳島ICの基地には当面の食糧がある。しかし高速道路は殆ど粉々になっており、二度と走行は出来ないだろう。すると北東の方向だろうか。眩(まばゆ)い光が見える。それと同時に、幾つもの影が見える。暫くしてその正体が分かった。巨大移動砲塔。150人のうち8割を犠牲にして接収した、我が軍最強の兵器。それが10基も並んでいる。そしてそれが光を放つ時、我々は終末すら予感した。盾の能力で何か使えないものか。偽装を解除した時に偽装に使われていた石など、持っている全ての紅い石を注ぎ込み、盾を起動した。ダメ元ではあったが、盾を全権解放した。すると土壁が現れた。広大な焼け野原に細長く屹立するその城壁は、移動砲塔群の攻撃の全てを防ぎ、そして飛び始めた。土の龍と言った方が良いのだろうか。その龍(かべ)は移動砲塔群を包み込み、無力化した。そう、この盾の名は「万里長城(ワンリー・チャウジャン)」。無力化に成功したとはいえ、こちらから攻撃しない事には向こうに手は届かない。鳴門の位置は調べずとも、土の龍(かべ)の向こう側を目指せば良い。ある意味、迷うまでもなく突き進める。残存兵は27人。第2分隊は行方不明。恐らくは全滅だろう。焼けた市街と、焼け残った市街のコントラストが激しい。焼かれた部分では殆ど黒い焦げしか残っていない一方で、焼かれていない部分では打ち棄てられた町並みが残る。いわば砂漠の中のオアシスと言った所だ。上空から見れば殆どが黒い大地なのだろうが、せいぜい50mの上からしか見渡せない。それでも十分かもしれないが、ここで言っているのは航空写真のような視点の事だ。今「万里長城」が封じているのはかなり近くだった。言い換えれば、封じているよりも先に鳴門はあるのだが、そこまでの距離がとにかく長かったのだ。どれほど経っただろうか、眼前に次々と出てくる移動砲塔を封じ過ぎて、後方には沢山の団子状になった長城(かべ)が見える。長城の上に長城を載せるとこんな形になるのか、と感心している場合ではない。次々とやって来る移動砲塔は道案内にこそなれど、あまりに多すぎる。1回目は10基だったが、2度目は30、3度目以降は無数としか言いようの無い数になってしまっている。それを封じ続けて鳴門まで着くと、光柱は地元(ふるさと)では無かった程の大きさになってしまっている。凡そ、鳴門市街全域を覆う程のものだ。光環の範囲に入れという事だろうか。紅い石を物質に変えられるのは、基本的に光環の内側だけ。模造ならば隣に同じものがあれば何とか出来るが、新しいものを模造したい場合は光環内でやるしかない。しかしそれはこちらにとっても同じ事。こちらも新しいものの模造は可能になる。敵の移動砲塔がどんどん形を変えていった事からも、奴等が光環内に居るのは間違い無いだろう。しかし光環はあまりに大きすぎる。取り敢えず移動砲塔の進行方向とは逆に向かってみる事にする。器用な命令が出来ないのなら、そこに敵は居る筈だ。光環の内側に入る。正直言って、光環に長期間入るのは初めてだ。どんな影響があるかは全く分からない。ただ分かる事は、新しいものを模造出来るという事だけ。しかしさっき盾に全ての石を注ぎ込んだため、こちらに石は1個も無い。どうしようもないではないか。そう思っていると、目前に大量の石があるではないか。移動砲塔だ。これだけ大きいものを運用するのには何個必要なのだろうか。期待を膨らませながら無力化し、長城を登って切り取る。すると1基に全部で54個あった。高さが約3倍である事からも、40m級の27倍必要だったという認識で良いのだろうか。そして長城でこれが自動化できないものかと思う。すると光環の内側に居るからか、長城に攻撃機能が付与された。その結果、軽い長距離攻撃を行う盾が出来てしまった。そして長城の機能で石が大量に集まるようになる。これまで捕まえていた移動砲塔にも集中砲火を加え、解体する。石はあっという間に集まり、どう見ても1000個を超えた。そしてそれらを一点に集めて願う。
<遠近両用の兵器、現れよ>
 すると銃剣のようなものが現れた。されど銃剣とは少し異なる模様だ。剣の束に拳銃が付いた感じ。相対した時に間合いの外から撃てる、程度だろうか。あまり効果は期待できない。そう思っていた。この尋常ならざる石集めには流石に気付いたのか、奴等は直接対決を挑んできた。貴様が南四国を奪還したとかいう者か、そう訊いてくる。やはり奴等には奴等のネットワークがあるらしい。無言で居ると、そうかと言って数百、数千以上の移動砲塔を向けてきた。質で対応できないなら量。正しい選択だ。これでは勝てない。全く勝ち筋が無い。相手はかなり余裕そうだ。しかしこの余裕にこそ付け入る隙がある。一騎打ちならば勝負が五分五分。こちらにはまだ知られていない新兵器もある。対して敵は変わり映えしない「同じ男」だ。容貌のみならず思考回路も基本的には同一。学習量だけの差異しかない。その学習量に賭ける。男は一騎打ちに応じるらしい。律儀な奴だ。そう思っていれば、この対戦は奴等の慈悲だという。今撃たれてしまえば、粉どころか分子すら残らないかもしれない。男が斬りかかった瞬間、空に飛び上がり土龍(ちょうじょう)を足場に上空まで駆け上がる。男も乗り越えようとしてくるが、捻ってしまえば登れない。彼女の形見の剣で、彼女が為した技を再現してみせる。上空数百mからの自由落下によるエネルギーを活かした斬撃。「重力斬り」と言ったか。自身は着地直前に浮上しつつ質量そのものを縮小する、という難解なもので理解が出来なかったが、今なら出来る気がする。そして攻撃力は最強の筈の最新の銃剣、いや銃剣もどきに持ち替える。落下中に石を銃弾代わりに発射するものだ。男はこういう時のための最終兵器を用意していたらしく、地面が裂けたと思えば地中から巨大な高射砲のようなものが見える。近代兵器(こうしゃほう)には近代兵器(じゅうけん)だ。私が撃ちながら斬るのと、男が自らをも吹き飛ばしながら高射砲を撃つのと、どちらが速いか。早撃ち勝負である。更に男はその周囲に小型の高射砲を用意した。その数12門。しかしもう制御の仕様がない。数発銃剣を撃つと同時に、小型高射砲が発射される。被弾しながらも斬る。主砲発射には間に合ったようだ。しかし一度に12発も食らえば、盾があっても衝撃は凄まじいものだった。斬った後に被弾した私は、逆に空高く吹き飛ばされた。浮遊機能で事無きを得るも、危険極まりなかった。実際、かなり物理的に胸が苦しい。一瞬押し潰されたような間隔さえある。着陸して地に突っ伏す。気付けば血を吐いている。喀血(すこし)というよりは吐血(たりょう)の域だろうか。男諸共に光環を維持する装置は壊れたのか、光柱が破壊された様子だ。今度こそ勝った、のか。そう思っていると、もう1人居る。あの見慣れた男ではない。白に全身染め上げたかのような服を着た女だ。まあ騒がしい事。そう言って女は大きな鎌、または鉞(まさかり)だろうか、よく分からないが斧のような道具を持って近付いてきた。もう体が動かない。体だけ死んだかのようだ。「重力斬り」にはかなりの負担が掛かると言っていたが、これか。本当に使うべき相手はさっきの男(モブ)ではなく今の女だったか。実力を見誤ったのは私のようだ。殺されるのか。そう思っていると、破壊された筈の光柱が復活していく。同時に男も復活する。そんな馬鹿な話があるかよ。そう思っていると、数人の生存者が私を引き摺っているらしい。もう動かない。そう諦めた体を誰かが引っ張っている。どうにかせねば。念じるだけで機能付与が出来るかもしれない。それを僅かな望みとして、こう願った。身体強化を実施、身体強化を実施、身体強化を実施、数十回目辺りで効果が出たのか、手の指が少し動かせるようになってきた。痛覚緩和や体力倍加を織り交ぜつつ、知る限りの手段を尽くす。気付けば瓦礫の隙間で、私は眠っていた。起きた時、生き残っているのは我々(さんにん)だけと告げられた。討ち取られれば交代というようにバケツリレー方式でここまで運んだのだとか。そして隠れ場所に来て2日。生存者は私含め3人。恐らくは旧鳴門市街地のここで、再戦を挑む。数的にも質的にも圧倒不利にある。奇襲以外に手は無い。しかし陽動を行えるだけの兵力は最初から存在しない。ならば1人2役するしかない。長城の自動砲撃システムで数的不利を打破したように見せかける。質的不利打破の真似事には苦労したが、更に銃剣で敵に撃ち込んだ石を制御する。敵内部からの侵食によって多少の攻撃は出来る筈。これを陽動にして、奇襲を仕掛ける。長城を折り重ね、北にある山に無人の防御陣地を構築する。そしてそこから長城を伸ばし、弓矢を射掛ける。全砲火がそこに集中した途端、今度はビルの屋上に立つあの女が爆発する。普通ならこれで死ぬ筈だ。しかしそれでも半身が生きている。急ぎ浮上し斬りかかるも、こちらの意図に気付いたのだろう、残る左右の手で受け止める。最早化け物である。すると手が自爆し、吹き飛ばされる。2本の神剣の加護(こうか)か、直接のダメージは無い。しかし爆風は熱いし、痛い程の圧力だ。すぐさま反転し、何とかもう一撃加える。すると吹き飛んだ筈の女の手が伸びてきて、剣に巻きつく。しかしこちらには2本目の剣がある。巻きついたその手から本体を手繰(たぐ)り寄せられるのだ。それでも女は抵抗する。何と3本目の手が胸の中央から生えてきたのだ。特徴(おやゆび)の無いその手は、3本しかない指でもう1つの剣の切先(きっさき)を掴む。人の形を捨ててまで抵抗するのか。奴等は何者なのか。そう思っていると、更に今度は背中から手が数本生えてくる。必敗だろうか。しかし退路は無い。ならば負けるよりも前に勝つしかない。左手に持つ2本目の切先を進め、3本目の手を貫く。更に押し込み、背中をも貫く。動きが止まる。今しかない。巻きついていた手を斬り払って、最初(はじめ)の太刀を振り下ろす。そうすると女の首が真っ逆様に落ちていく。これで勝ったのか。そう思って安堵していると、首から胴体が生え始める。気付いた時には既に上半身が戻っている。降り立ってみれば、既に全身が復活している。幸い、服も一緒に復活しているので目のやり場に困る事はない。烏賊(イカ)蛸(タコ)の類(たぐい)のような触手が自発的に集まり、群体を形成する。
「私を構成する7部品のうち6つを斬り壊すだなんて…」
 そう言うと彼女は額(ひたい)の方を光らせながら、こちらへ歩いてくる。どう見てもヒトではないが、何がしかのロボットなのだろうか。こんなものを量産されては堪らない。そして額からの光線はこちらを灼(や)くのかと思った刹那、彼女の頭蓋が光環の中心となった。もしやこれは光環自体が意志を持っているのだろうか。この光環は何者か。誰が何の為に作ったのか。こんな事をしなくても、我々の消去だけであればすぐに完了出来た筈だ。どちらにせよ、もう一度斬れば決着がつく筈。すると光環が広がる。そして急速に広がった光環が崩れ落ちたかと思えば、その欠片のそれぞれが集まり、彼女の手許が光り始める。それは剣の形になり、その後薙刀になった。周囲には近づけそうもない。こうなればこちらも長いものを使って戦うしかない。しかし紅い石は全て、この威力強化に使ってしまった。銃剣を用いるにしても弾丸が無い。このままでは恐らく高速で回転する薙刀に切り裂かれる。殺される時、斬られる時の気分とはこういうものか、そう思いつつも最後の望みとして、額に向かって切先を向ける。あの光が全ての根源ならば、これを取り除けば良い。最後の突きの一撃が、功を奏した。彼女は停止し、破壊された。ヒビの入った蒼い石だけが落ちていた。見てみればよく分からぬ模様が内側に入っている。これで終わったのか。生き残ったのは僅か3人。率いた部隊は全滅し、合流した人も、死んでしまった。人も、車も、砦も、全てを灼き尽くされ、唯一残ったのは自分自身だけ。得られたのは共に全滅した徳島東部の解放。誰も居なくなった土地のために皆散っていったのだった。生存者を探したが、私よりも少し若いくらいの姉弟(きょうだい)だけで、骨1つ見つからない。瓦礫も溶けて黒ずんだ塊になり、そんな中で見つかったのは奇跡であった。残った地元民は4人か、新たな敵も来なさそうだしここは任せるか。そう思って私はこの古戦場(ぜんめつ)から目を背けようとしていたのだった。とはいえ、多大な犠牲の上ではあるが、徳島県域の解放は成功したのだ。その礼を帰路の道々で言われるものの、いや言われる度に、全滅してしまった事実を思い知らされる。その上で私は自らの保身のために帰還時の言い訳を考えているのだから、最低な事この上ない。食糧も持たず、来た道を歩いて戻る。1日と10時間程が経った頃だろうか、阿波池田に辿り着いたものの、空腹と絶望とで倒れこんでしまった。いっその事、ここで死んでしまった方が良いのかもしれない。そう思って臥していたが、人はそう簡単には死ねないらしい。そして倒れている様子を誰かが見つけたのか、食糧が隣には置かれていた。このまま放置しては勿体無い。それにここで倒れても仕方が無い。そう思って取り敢えず食糧を口にした。いつの日からか、このような乾ききった固い有機物の塊でも美味(うま)いと思い始めた筈だが、これは不味い。食える訳がない。箱を見れば賞味期限は切れており、箱を開ければ中身は原型を留めておらず、災禍の前ならば道路に落ちているものよりも酷い扱いだっただろうに。それでもこれしかない現状に、不満を言って何か変わる訳ではない。冷たく注ぐ雨の中、私は南へ一路、進み続けた。あの不味い食糧を食べれば、どんな木の皮だろうとマシに思えるのだ。そうして木の枝や皮を剥がして食べつつ、日にちも分からずただ高架を南進した。見覚えのある平野を見た時、涙が零れ始めた。悲しみか、喜びか、何やらよく分からぬまま残り数kmを歩き、IC(インターチェンジ)を降りる。この平野もまた、かつて奴等に脅かされていた。しかしそれでも、灼き尽くされはしなかった。骨くらいは残った。埋葬する事くらいはせめてしてやれた。しかし奴等は阿波の地にて、埋葬すらも奪った。葬式すら、弔意すら奪ったのだった。供養してやれなかった。悔やんでも悔やみきれない。せめて今からと思って、冥府なるものがあるかは分からぬが、冥福(うめあわせ)を祈る。そうして伊野に戻れば、人口が半分ほどになっているのに気付く。何があったかと問えば、『中村』の地を奪還したという。犠牲になった者と、そこに入植した者。その2者が伊野を去ったのだという。
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