Tosastudy.jp top

T.O.S.A.

Telling Others to Study Another things.

エーゲ文明
クレタ文明
線文字Aの使用
クレタ島のクノッソス宮殿(エヴァンズが発掘)
城壁が無く開放的・平和な文明
壺・壁画からは海洋的な文明と分かる
アカイア人や自然災害により滅亡?

ミケーネ文明
アカイア人(=第1派のギリシア人)が南下・定住
線文字Bヴェントリスが解読
ミケーネティリンス・ピュロス等が乱立
城砦王宮より戦闘的な文明
クレタ文明トロイア文明の破壊 (クレタ島・小アジアへの進出)
(シュリーマンが発掘)
トロイア戦争が史実である事の証明(?)
滅亡の原因は不明(海の民の侵入?)

暗黒時代 約400年続いた混乱時代。
ドーリア人(第2派のギリシア人)が鉄器をもたらす
→鉄器文明に
方言による分化が発生(イオニア系,アイオリス系,ドーリア系)

ポリスへの集住 アテネ,スパルタ等の都市国家分立
フェニキア文字を基にギリシア文字を作成し,
イリアス・オデュッセイア等の文学が成立(ホメロスの叙事詩)
ギリシア人(ヘレネス)と異民族(バルバロイ)の認識
デルフォイのアポロン神殿の神託
4年毎のオリンピアの祭典を開催


アテネとスパルタ
アテネ:イオニア系ギリシア人シノイキスモス(集住)により形成
アクロポリス(城山)アゴラ(広場),市民の個人所有地(クレーロス)
奴隷は市民の個人所有(捕虜・異民族・債務奴隷)
穀物の3分の2を輸入に依存し,海上交易で発展
パルテノン神殿にはアテナ女神像があった

ドーリア系ギリシア人が先住のアカイア人(ミケーネ文明)を征服して建国
奴隷はヘイロータイと呼ばれ,国有(農業労働の強制)
スパルタ市民の下にはぺリオイコイがいた。(参政権無し,商工業に従事)
リュクルゴスの制
ヘイロータイの反乱抑制が目的。
主な内容は集団教育・貨幣使用禁止・所有地公平分配・鎖国
(戦闘力結束を高める)

人口増加による耕地不足から
植民市(しょくみんし)の建設が始まる (下記括弧内は現代の名称)
例: ビサンティオン(イスタンブール),ネアポリス(ナポリ),マッサリア(マルセイユ)
 ニカイア(ニース),シラクサ,タレンツゥム(タラント),ミレトス 等
平民の富裕化


アテネの民主化
貴族:騎兵で出陣可能
  →義務を果たすので参政権有
市民出陣不可(武具自弁の原則)
  →果たさないので参政権無し
But富裕化した平民達は重装歩兵に!
参政権の要求につながる
(リディア王国からの貨幣伝来も影響)

ドラコン慣習法を成文化
 →貴族による法の独占を打破
ソロンの改革で財産政治が始まる
 無産市民には参政権無し,債務奴隷の禁止
ペイシストラトス僭主政治
 亡命貴族の土地を無産市民に分配。
 息子のヒッピアスの暴政で終了。
クレイステネスの改革
 4部族制から10部族制に,五百人評議会の設立。
 陶片追放(オストラキスモス)の開始
僭主になる恐れのある者を10年間国外追放。(財産は没収せず)

ペルシア戦争の発生
ギリシア連合軍 対 アケメネス朝ペルシア
イオニア地方の植民市の反乱をアテネが支援し
アケメネス朝は諸ポリスに服従要求
→拒否により戦争発生

①暴風雨でペルシア撤退
マラトンの戦い
 マラトンに上陸したペルシア軍を迎撃→ギリシア勝利
③テルモピレーの戦い
  200万のペルシア軍と300人(打ち間違いではない)の
  レオニダス王率いるスパルタが衝突→全滅
  アテネも略奪・破壊を受ける
 サラミスの海戦
  アテネのテミストクレス率いるギリシア連合艦隊が
  サラミス湾に追い込んだペルシアを撃退!
 プラタイアの戦い
  アテネ・スパルタ連合軍がペルシア軍を撃破し,勝利確定

②で無産市民が三段櫂船の漕ぎ手として活躍
→無産市民の参政権獲得
ペリクレス:アテネ民主政を主導し,パルテノン神殿再建


18歳以上の男性市民全員に参政権
直接民主政(⇔間接民主政)
役人は抽選
民衆裁判所では陪審員(これも抽選)が投票で採決

ペルシア戦争
ぺロポネソス戦争
(アテネのデロス同盟対スパルタのペロポネソス同盟)
→対ペルシア,対デロス同盟
ペリクレスと全兵力の3分の1を失い,
扇動政治家に翻弄された結果,民主政治の堕落(衆愚政治)
スパルタ勝利

テーベ(≠エジプト)がスパルタ撃破
その後アテネ復活

土地が荒廃
没落市民と富裕市民の二極化
市民軍の解体・傭兵の流行
→ポリスの衰退

マケドニア王国の台頭
・カイロネイアの戦い
フィリッポス2世がアテネ・テーベ連合を破る
コリントス同盟結成,マケドニア王国がギリシアを支配

アレクサンドロス大王の東方遠征
アケメネス朝との戦い
①イッソスの戦いに勝利
 →エジプト征服
②アルベラの戦いに勝利
 →アケメネス朝ダレイオス3世暗殺
インダス川西岸まで侵攻
アレクサンドリアの建設
ヘレニズム文化の発展
アレクサンドロス大王死後,
ディアドコイ戦争(後継者争い)で帝国分裂
マケドニア:アンティゴノス朝
エジプト:プトレマイオス朝>
シリア(小アジア):セレウコス朝
 →西方にペルガモン王国・東方にパルティア王国・バクトリア王国成立
ヘレニズム時代:東方遠征からプトレマイオス朝滅亡まで


ギリシア文化
ゼウス等のオリンポス12神を中心とする多神教
神々は人間同様の喜怒哀楽の感情を持つ。

叙事詩
ホメロス
「イリアス」,「オデュッセイア」(トロイア戦争にまつわるもの)
・ヘシオドスの「神統記」,「労働と日々」

叙情詩
サッフォー:女流詩人,レスボス島出身。
アテネの「三大悲劇詩人」
アイスキュロス:アガメムノン
ソフォクレス:オイディフス王
エウリピデス:メディア
喜劇:アリストファネス
「女の平和」,「女の議会」

自然哲学
ミレトスを中心とするイオニア地方で発生
(イオニア自然哲学) (イオニア地方はギリシア本土とは海を隔てている)
万物の根元(アルケー)の探求
タレス:万物の根元は
②ピタゴラス:万物の根元は
③ヘラクレイトス:万物の根元は
④デモクリトス:万物の根元は原子(アトム)

ソフィスト(弁論を教える職業教師)の活躍
プロタゴラス:人間が万物の尺度

三大哲学者
ソクラテス:普遍的真理の存在を主張し,「無知の知」を提唱
プラトン:イデア論を提唱,アテネにアカデメイア設立
    「国家論」:理想の政治として哲人政治を説く
アリストテレス:「万学の祖」,「政治学」;ポリスの国制分析

ヒッポクラテス:「医学の父」(神話的解釈から科学的解釈へ)
ヘロドトス:ペルシア戦争物語的に記述
トゥキディデス:ペロポネソス戦争科学的に記述
フェイディデス:「アテナ女神像」,パルテノン神殿再建工事監督。
プラクシテレス:ヘルメス像

建築様式
ドーリア式: 無装飾
イオニア式:渦巻装飾
コリント式:葉形装飾


ヘレニズム時代
コイネー(共通語)の使用→一体化
世界市民主義
(コスモポリタニズムポリス中心主義)
「(この)ポリスの一員」→「広大な世界の一員」
ポリスにのために」から「自分の幸福のために」

哲学では
ストア派  :禁欲主義,ゼノンが創始
エピクロス派:快楽主義,エピクロスが創始
自然科学では
ムセイオン:アレクサンドリア
エラトステネス:王立研究所館長,地球の周長を求めた。
アルキメデス:浮体の原理,てこの原理
エウクレイデス(ユークリッド):平面幾何学。「幾何学原本」
アリスタルコス:太陽中心説(=地動説)の提唱

彫刻
ミロのヴィーナス:ミロス島で発見。
ラオコーン:アテナに殺されるラオコーンとその息子
サモトラケのニケ:ニケ。(NIKEの由来),サモトラケ島で発見
瀕死のガリア人:ペルガモン王国がガリア人との戦に勝利したことの記念品。(現存は模造品)


パルティア&ササン朝
(共和政→)帝政ローマ(地中海沿岸)
パルティア(安息)(カスピ海東南)
 イラン系遊牧民のアルケサスが建国
 メソポタミア進出後,オアシスの道(シルクロード)西部を支配し
 東西貿易で繁栄
バクトリア
 ギリシア系の住民が建国したので
 ヘレニズム文化をインドに伝え,
 仏像製作につながる(以前は仏足跡が主流)
その後...
ササン朝ペルシアの成立
パルティアを倒して建国。
2代目シャープール1世クシャーナ朝(インド)を攻撃
エデッサの戦いでローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜に
エフタルにより混乱するも,
21代目ホスロー1世突厥と結んでエフタルを滅ぼす
東ローマ帝国ユスティニアヌス大帝と抗争
アラブのイスラーム勢力との
ニハーヴァンドの戦いの直後滅亡

ゾロアスター教:教典アヴェスターの編集。
 (中国に伝播し,祆教と呼ばれる)
マニ教:ゾロアスター+ユダヤ+キリスト。
 (ローマ帝国末期の北アフリカ・南仏,中央アジア・中国に伝播,摩尼教と呼ばれる。)
ネストリウス派キリスト教:キリストの人格を分離して考える。
 (シルクロードを通じて中国に。景教と呼ばれる。)

・正倉院宝物の漆胡瓶(しっこへい)。(胡瓶はペルシア風水差し)
・法隆寺蔵の獅子狩文錦(ししかりもんきん)
 ササン朝ペルシアの影響を受けた唐の作品

ローマの発展
-753年 ローマの建国(ラテン人国家)
-509年 エルトリア人の王を追放し,共和政に移行
 →アーチ工法等を習得!
パトリキ(貴族)とプレブス(平民)との参政権の有無
ディクタトル(独裁官):非常時の臨時職。全権委任。
コンスル(2名)(執政官):行政・軍事を担当する最高官職。任期1年。
元老院 :最高の立法・諮問機関(終身)
⇔民会(平民サイド)
平民会:護民官が議長を務める。
護民官:平民の権利を保護。拒否権を有する。2名→10名
(重装歩兵としての平民の活躍)

経緯
①聖山事件:市民がストライキ。貴族に護民官・平民会の公認要求。
 十二表法:ローマ初の成文法
リキニウス・セクスティウス法
 コンスルのうち1名は平民から選出
 大土地所有制限(1人500ユグラまで)
ホルデンシウス法
 元老院の承認なしに平民会の議決がローマ国法に

身分闘争と征服戦争
①イタリア半島の征服
 北部:エトルリア人
 中部:ラテン人
 南部:ギリシア人
アッピア街道等の街道整備と
 分割統治 (植民市・自治市・同盟市 等の)待遇に差を付ける (団結と反乱の防止)

ポエニ戦争
1.シチリア島奪取(ローマ初の属州)
2.ハンニバルの侵攻(カンネーの戦い等)に対し  スキピオがカルタゴを攻撃
 ザマの戦いで勝利
3.カルタゴ滅亡。西地中海征服。

アンティゴノス朝マケドニア征服
 続いてギリシア・小アジアも属州に
セレウコス朝シリア・プトレマイオス朝エジプト以外は
 地中海沿岸を征服
広告(Sponsored link)
inserted by FC2 system