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  • これは一切,現実の団体・地名・人名と関係ありません。
    則ちフィクションです。

    小1編

    1.はじまり
    2010年,私は高知県某所にある横堀小学校に入学した。 一年生の頃の私のやっていたことは次のような事である。 入学式の際,走りすぎて疲れた記憶がある。 どういうことかといえば,つまらなかった為,「追いかけごっこの一環」として走り回ったからである。 ∵,「儀式」というものの必要性が理解できなかった(今でもできない)からである。 また,トイレには花子さんがいるという当時でも非常に古風な都市伝説を信じ,探検隊を組織してトイレを隊員に探検させ,報告を聞くという事もやった事がある。 その探検隊員の大半は,後々述べる「二条城」というこども秘密結社のようなものに入会(?)した。

    2.「二条城」発足
    当時,赤木君という恐竜好きの友達(後に大事件の被害者となる)がいた。その子に連れられ,花も何もない古い花壇をほじくり返して石を見つけ,化石かどうかを赤木君に判定してもらう事を繰り返した。そして,トイレ探検隊の隊員が次々と参加する次第となり,スペースが足りなくなった。その為,移転場所を探したのである。すると,当時の小6が不良じみており,シャベル(東日本ではスコップを指す)で「ブラジルまで行く穴」を掘っていた。それに対し,私は,「地球が地殻,上部マントル,下部マントル,外核,内核という構造になっており,マントルは地上よりもはるかに暑いこと」を知っていたため,見事に論破したのであった。そうして当時学校の南東端にあった小山を占拠し,巨大な天守を建てる目標を立てた。(結局実現しなかった)また,城の名前を安土城としたが,翌日に安土城は無くなっているという事実を知り,豪華絢爛で有名な二の丸御殿のある「二条城」とした。 こうして,学校に6年間にわたり存在したこども秘密結社が発足した。当初は「秘密基地」であったが勢力拡大に伴い有名になったため,後に公式な組織となった。初代城主は私で,副城主が中越君であった。その頃はよい友達であった。ちなみに,「中越」はチュウエツと読むらしく,非常に珍しい名字だと感じた記憶がある。

    3.「相棒」発足
    前章にて私が小6を論破した事により,いつの間にか「先生」と呼ばれるようになったらしい(私は覚えておらず,母の話による)その事もあってか,幼稚園時代に相棒というドラマをパクって「相棒」という二人組を結成したのと同様にして(幼稚園児のおままごと?),「相棒」を探したのだが,募集すると7人以上になった記憶がある。そのうち,中越君は4年後に再接近してくる厄介者なのだが,そのときは知る由もなかった。話を本題に戻すと,これが「二条城」の中核幹部となったが,もちろん「幹部」という言葉など知らなかったため,「家臣団」と呼んでいた。

    4.私の事件簿
    私が絡んだ(加害者となった)事件を紙面の許す限り列挙しよう。
    ①前の席の赤木君の首に後側から鉛筆を刺した事件(当時は興味本位であったが,大学生がタリウムを飲ませた事件の後に危険さを自覚した。申し訳無く思う。)
    ②教室扉の窓破壊事件(これは2学期にあったのだが,遊具に一早く到達するために戸が開けづらかった為無理矢理開けていたが,立て付けを直したため,勢いよく戸が開き,戸にあった窓にヒビが入った事件。学校側は立て付けに関して説明していなかったのに3000円の弁償となった。今でも不服である。)
    ③小6女子が3人いたところに石を投げ,首に結構な怪我を負わせた事件(これは相手が馬鹿にしたからやったことである。しかし相手は暴力を振っていないため,こちらが悪いとされた。)
    このように,私は先生(本物)に厳重注意を受けることが多々あったが(警察を呼ぶと脅された事もある。),本物の先生に「漢字博士」という称号(通称?)を手にしていた事くらいしか覚えていない。

    5.佐竹君との戦い
    題名は恐ろしいが,実際は私が目標として設定していた人物であるということのみであり,戦争があったわけではない。佐竹君は走るのが非常に速く,女子からもモテ,賢く,男子にも人気であり,「二条城」内に入っていない人物であった。これは私としては「二条城」の勢力拡大を阻むものであるとして,それ以上の人気を得るにはどうすればよいか考えた。その結果,夏休みに宿題をすぐに終わらせ,毎日家の中で走り,走る速度を速くすることにした。その結果が,佐竹君に次いでクラス二位であったことは非常に悔しかったが,他の自分より速かった人を全て追い抜いた事は大いなる成果であった。その後,佐竹君をたまに追い抜くことができたことは嬉しかった。しかし,人気には繋がらなかった。私の負けた唯一の戦いである。その後,佐竹君は3学期末に転校したが,そのとき,コーラ味のグミを私にくれた。

    6.お楽しみ会
    私は先生にお楽しみ会の開催を提案した。その結果,1学期,2学期には司会という名誉ある定員2名の素晴らしい役職に就いたのだが,3学期に何をやらかしたかは忘れたが,そのことが原因で失脚し,司会連続3選は先生の圧力により阻止されたという記憶がある。とても悲しかったが,何がどうであったかを覚えていない。

    7.まぬけ事件
    掃除後,黒板全体に黒板消しを用いて「けむし」と悪戯で書いたのだが,その後先生が見た時には「まぬけ」になっており,かなり怒っていた。そして,犯人追求が始まり,真っ先に「『け』は書きましたが他は分かりません」と言い,そして「『ま』は私が書きました」と舛添という名の人が言ったが,『ぬ』が不明となり,誰が書いたか分からないまま現在に至る。ただ,『まぬけ』三文字のうちニ文字を書いた私と舛添が疑われるのは当然であり,「正直に白状しろ」的内容を言われた事は鮮明に覚えている。

    8.傘チャンバラ事件
    二条城の仲間で,後に相棒の最後の4人となる内の中越君を除く3人(赤木君ともう一人)で,坂本龍馬がかつて雨天の際,鏡川で泳ぐ事を止めようとした姉に「濡れるき変わらん」(=どうせ濡れるからいいじゃん)と言った事から,雨天の際外に出てはいけないルールを破り,「どうせ雨に濡れる実験するき変わらん」と言って3人で傘を使ってチャンバラをした事がある。結局,先生にかなり怒られたが,思ったより楽しかった事は覚えている。



    小2編

    1.野菜との戦い
    小1のとき,給食の嫌いなものは残していたが,担任の先生に「少しは食べたら」と言われ,食べたところ,体に異変を感じ,6時間目の後,トイレに行く途中吐いてしまうということがあった。ちなみにそのとき,学校はリニューアル工事をしており,床が綺麗になっていたため,「すいません」とひたすら謝った記憶がうっすら残っている。吐いた原因としては,私自身,野菜と果物がジャガイモ以外の一切を嫌いということがあり,それにより暗示をかけてしまったのかもしれないが,いずれにせよこの体験は後々影響することになる。また,このときの担任の先生は非常に優しく,よい先生だったのでそれが救いとなった。

    2.掛け算との出会い
    私は「計算カード」というものや「本読みカード」なるものを実施する事が大の嫌いで,生涯に渡って実践したことは20回にも満たないと考えられる程,やらなかった。また,足し算と引き算,特に繰り上がり・繰り下がりが嫌いであった。そのようなときに,掛け算は九九を覚えて計算するだけであるが故に計算速度の向上のために,1から10までの和を計算する方法として1と10,2と9,3と7というように組み合わせて,5をかけるという方法(=1からnまでの総和→nに1を加え,二分のnを掛ける)を自力で(トイレで考える癖があり,トイレで考えた)導いた。その後,小3になり約400年前にガウスが導いていたことを知り,かなりショックだったことを覚えている。このことのように,掛け算はとてつもなく得意だった。(標準計算速度は遅いが,工夫して計算したため,比較的速かった。)

    3.「二条城」地図作り
    「二条城」の発展と拡大のために,まずは領域内の地図を作成することとした。当時の小6,地図作成時の中1が作ったブラジル穴を中心に,半径10m程度の地図だが,この作成作業から我々の土木工事が始まった。「小1が落ちないように」という名目でブラジル穴に階段を作り,水路を通した。ただ,2学期の直前にブラジル穴は教員によって埋められてしまった。また,木の位置や水路の長さをできる限り正確に記した。現在その地図は残っていないが,天守建造計画のもと,「正門」を「二条城北口」とし,各入口(といっても南北のみ)に地名を付けた。また,松の木が校内に三本あったのだが,そのうち二本が二条城内にあり,それは北松,東松と呼ばれるようになった。そのように,地名を付けていったのだが,後に二の丸拡張が提案され,北口側に寂れたタイヤの遊具があり,そこを戦時の最終拠点とする,と定めた。また,三の丸をその先に作る計画もあったが,地図作りと水路・階段工事で多忙を極めたため,中止された。(その後「第二二条城」という基地を設けた。)

    4.「二条城」領域拡大
    「二条城」の領域を半径10mの小山のみの状態から拡大するために,「都」と呼ぶ存在であったプール南の鉄棒や雲梯,登り棒と一輪車用遊具のある栄えた地区からレンガを徴収(徴税?)することを目論んでいた。 当時,小学校低学年ではレンガを叩き,粉末で着色する遊びが流行しており,レンガ塊が通貨の代用として流通(?)していた。(といっても強制通用力はない)それを我々はレンガーコインと呼び,常に欲しがっていた。また,拾い集めるにしても既に取り尽くされており,流通しているものから「稼ぐ」ことが必要であった。また,我々は当時「工事員」と「傭兵」を雇い,城の拡張と天守建造,領域拡大を目標としていたため,レンガーコインという「通貨」が必要であった。
    また,結論としては「徴税」は失敗し,レンガを地道に拾い集め,野球クラブの倉庫の下にたくさん隠す羽目になったが,領域を「都」に広げることに成功した。これにより,「二条城」の領域は南北に30m以上,対して東西に10m程度というアンバランスなものになった。

    5.大型遊具戦争
    当時「大型遊具」という名で呼ばれる遊具があった。「都」以外にも栄えた地区として,その周辺があったが,旧小6が卒業して後,支配者不在の地区であり,小3や小5の狙う(小4,6は何もしなかった)地区であった。このとき,小3と小5は相打ちのような状態となり,互いに撤退していた。このとき,浅はかなことに我々はそこを占領してしまい,連合軍にボコボコにされる羽目になった。具体的には砂や石を用いた投石攻撃やタックル等であった。この戦いは非常に辛い戦いで,多くの仲間が「二条城」を辞めることとなり,結果として,二条城の拡大に悪影響を及ぼす戦いとなった。また,大型遊具は小5が占領することとなった。

    6.横堀公園の話
    ここで話を本題に戻そう。私は小2になり,毎週水曜日に横堀公園に行くという習慣ができた。小1では「軽トラにはねられる」という謎の知識(?)があり,小2になり初めて横堀公園に行くこととなった。ここで後に「横堀穏健派女子」という分類に属する人々と出会うこととなった。その人々達とは鬼ごっこや「警泥」をして遊んでいた。

    7.その他
    先生に学級新聞を出す係の創設を提案し,係を作ったが,あまり仕事をしなかったため,2・3学期では新聞係への入会(?)を拒否されたり,といういろいろな出来事があった。



    小3編

    1.「二条城」と中越君
    「二条城」副城主であった中越君が急激に接近してきた。何故かは不明だが,その頃,「二条城」では,幹部衆「相棒」は殆ど機能せず,「相棒」を辞める者も増え,中越君,赤木君と私ともう一人の四人となった。そして,「二条城」も勢力が弱まり,小2時の最大領域の二分の一となった。こうして,「都」の領有権を失い,また,小学校の統合によるリニューアル工事によって本拠地であった「二条城」も一時的に失うこととなる。しかし,一時移転の先を弱体化して完全に支配地を失った小6の前本拠地であった校庭西部の長細い「辺」のようなところに新本拠地を移転し,失わないようにという願いを込め,「上田城」と名付けた。また,相棒四人衆となってしまった四人で,「西部開拓」を開始した。当時の小4とは再戦の予兆があり,暫くの間戦いが続くことを予期し,工事終了まで上田城に引きこもることとなった。中越君はこれに賛成し,極度のイエスマンになった。このころからの変化が後に大事に至るとは誰も思わなかった。

    2.上田城と校庭全封鎖
    やがて「都」や二条城が工事で無くなり,スペースが狭まった為に残ったスペースを巡り戦争が始まり,最後は校庭が無法地帯となってしまうところであった程である。その後,さらに工事は拡大し,校庭は全面封鎖され,校舎の改装も始まり,足場が組まれて窓からは外が見えない,暗い生活が進んだ。また,横堀公園での遊びが活発化し,二条城に小2,小1を配下に入れることに成功した。

    3.「遷都」と上田城の活性化
    上田城はあくまで「臨時拠点」であったのだが,校庭南西に「都」の一輪車設備以外の全てが移り,新たにジャングルジムが上田城本丸(本部)周辺に設置されたため,小学校のリニューアル工事後も廃城となることなく存続した。また,上田城の城主を中越君とする昇格案を提案したが,このころは「二条城」の団員は小3主体でなくなり,提案する相手が少なかったため,当人に直接「任命」形式で言ったのだが,このころ事件として釘を打ってパチンコ機(?)を作る授業があった。釘を打つハンマーで中越君の後頭部を叩いたことがあるらしいと聞き,本人がその影響で後々おかしくなったのかもしれないと思ったが,やはり記憶に無い為,嘘であると思う。

    4.大きな壁の出現
    当時,土壌改良工事により大きな柵が作られ,生徒は中に入ることができないようになっていた。我々はどのようになっているか気になった為,様々な方法で入ることを試みた。第一に,ボールを投げ込んでそれを口実に入ることであったが,数mもある壁の内側にどうやって入るか定まらず,それを校庭で呑気に考えていると,小4が戦いを持ちかけてきてギリギリ負けない程度の戦いを展開する羽目になったりする等邪魔が入る為,この方法ではうまく計画が進みそうになかった。そこで,次の作戦として,校庭外側から眺めるというものであった。校庭外側には学校にもともとからある高い柵があるものの,工事中で壊している最中であり,またこれならば怒られる心配もない。但し,問題があった。横堀小学校沿いの歩道は全て,幅が2m未満なのだ。つまり,小学生が5~10人横並びに校庭を眺めているとして,自転車や通行人からすれば,非常に邪魔なのである。このことから,校庭の土壌改良工事の様子を見ることはできないものかと苦心(?)したのだが,結局見ることはまなならなかった。今でも悔しいものである。

    5.統合に向けた大門筋小学校訪問
    大門筋小学校は統合後に仲良くなれるようにという名目で大門筋小学校生と訪問し合うという事で,学年で大門筋小学校を訪問した。その結果,横堀小学校と大門筋小学校では教育方針等の根幹が違うという事が分かった。横堀小学校は,自分が小1の頃まで不良もどきが存在したほどの悪質学校であった為,「生徒本位」に近い学校であったと思う。また,児童会等の組織があり,式の際は児童会長挨拶が存在していた。大門筋小学校は,「教師主権」で,図書館教育の徹底や読書感想文が多く,月一回のミニ読書感想文「家族読書」も行われており,私にとっては生きづらい学校であると思った。

    6.さよなら横堀小学校
    針山橋小学校の校歌は横堀小学校5年生と「やーま」という三流歌手が協力して作った。横堀小学校歌の「工場の東」という歌詞が残されたことは覚えている。また,大門筋小学校の「ソテツ」という歌詞も残された。PTAからは全在校児童に500円分の図書カードが送られた。記念行事では,風船を飛ばす行事があったが,児童会長が「3,2,1」と言った後,その後「と言ったら飛ばして下さい」と言った為,本当に風船を飛ばしてしまった。そして困っていた所,用務員さんが風船をくれた為,私は今度は「ちゃんと」飛ばす事ができた。

    7.校庭全封鎖の影響
    小学校の校庭全封鎖により,室内でトランプゲームの一つ,「大富豪」をして遊んだ。非常に上手になったと思う。また,暗い学校の中,菱形,平行四辺形,正方形,三角形の積み木があり,幼稚園児のように遊び,ドミノを長くする遊びをしていた。今思うと悲しい遊びであったと思う。夏休みが終わると,学校の床や壁はリニューアル(実際は上に板を被せただけ)されており,ランドセル入れは木製になっており,階段や廊下は同様に木の壁となっており,天井はむき出しで配管丸見えだったのがフタがなされて綺麗になっていた。そのため以前は天井にぶら下がる者がいたが,現在ではそもそもできないようになってしまった。

    8.その他
    小編1.配り係
    私は小3のとき,初めて配り係に就任した。全員の座席を席替え後すぐに覚えることは得意だった為,天職であったのではないかと思う。また,個人的には座席はどこでも良かったのであるが,自分のしている事を邪魔されない席が良いと思っていた。また,席が隣の者同士を夫婦と呼ぶ馬鹿者がいたため,女子が隣になった場合はその対策が厄介であった。

    小編2.「公」の二条城
    小3になり,二条城の拡大により,もはや秘密基地ではなくなった為,担任の先生にもその話が伝わるほどであった。また,当時学校内で新興勢力としては最大の規模であった(小5と仲が良かった為,秘密の同盟関係があった。)為,本拠地に先生を招待し,さらなる拡大を目論んでいたが,先生を招待するまでに至らなかった為,頓挫した。だが,これは「秘密基地」であった二条城が「公認組織」となるきっかけになった為,喜ばしいことであった。こうして,公認組織二条城が誕生した。

    小編3.ニュース係
    2学期からは「ニュース係」というものを始めた。どういう係かというと,火曜日の「帰りの会」の時間に新発見や新聞のニュースをパクって発表する係であった。最初は中越君と私の2人であったが,人気であった為,3学期にクラスの男子殆どがニュース係に就任し,私が係長,中越君が副係長であった。当時,都市伝説で「地球に地球の100倍の大きさの天体が衝突し,地球が滅亡する」「パニック防止の為,口外されていない」というものがあり,それを報道したところ,本当にパニックになった者が現れ,以後それを嘘であると訂正せねばならなくなったくらい,影響力は大きかった。



    小4編

    1.こんにちは針山橋小学校
    高知県には日本三大がっかり名所の一つ,針山橋がある。因みに,その他は札幌時計台と長崎眼鏡橋である。高知の針山橋はもともと松淵川という川に商人が自腹で橋をかけたのがもとで,「よさこい節」の舞台となっているらしい。また,「よさこい節」は高知県発祥である。その橋が由来で,小学校の名前も「針山橋小学校」とされたのである。「針山橋小学校」は,郷土史的には面白い学校で,戦前潮江橋付近にあったらしい「第一小学校」と高知八幡宮付近にあった「第二小学校」が1950年頃統合した「横堀小学校」と,「第三小学校」であった「大門筋小学校」が統合したものだが,横堀小学校は戦前旅館であって,結構大きな土地を持っていて,それがそのまま小学校になったもので,大門筋小学校は地元の殿様山内家の家臣の住む屋敷があった場所であった。また,個人的には,硬筆等の際に「針山橋」と書くことは非常に長く,「針山」にして欲しかったというのはあった。統合後は,大門筋小学校解体後はすぐ図書館にする予定であったが,遺跡の発掘が優先され,貴重な資料が発掘された。また,その後図書館には47都道府県中あるものが高知県には唯一無かったのだが,やっと設置された「プラネタリウム」ができた。(18年7月に開館,このように遅れたのは東洋ゴムの免震ゴムデータ偽装事件のせいだと思う)宇宙大好きな子供であった私はかなり喜んだ記憶がある。余談ではあるが,週1のペースで私はプラネタリウムに行っている。

    2.統合でさらなる勢力争い
    統合で,旧横堀派と旧大門筋派で校庭内のスペース争いが始まった。両者表面的には仲良くしていたが,文化や考え方の違い,そして教員同士での暗黙の戦いが存在していたため,全面戦争に発展した。「二条城」は,大門筋陣営と敵対することなく,中立を保ちつつ勢力を拡大する作戦をとったが,それも許されない程の徹底抗戦を大門筋陣営がとったため,やむなく横堀派として出陣した。その後,両陣営は戦いを諦め,お互いに関わらないことを選ぶ者が多かった。そのため,派閥数は多いが,1派閥あたりの人数は従来通りという状況が続いた。男子勢はまだそれでよいが,女子では壮絶なイジメがあったと聞く。大門筋派閥は横堀派を何かと理由を付け,嫌味を言うことを繰り返したらしい。また,総じて大門筋出身者は騒がしく,人のテリトリー(物理的,精神的)に勝手に入る者が多かった。全員ではなかったが,横堀小学校出身者は精神的に病む人がいたのではないかと思う。

    3.野菜との戦い2
    小4でも,野菜との戦いが始まった。私も複数日に渡る戦いになると思ったが,実際はもっと地獄でかつ非常に長い戦いあった。そして,四方竹ゲロ事件が発生した。概要は,昼休み中に野菜を食べる事が嫌だったため,昼休み直前(約30秒前)に口の中に含み,直ぐに手洗い場(=トイレではなく洗面台)に吐き出す事を繰り返した。そんなとき,給食で「四方竹」という食べ物が出た。私は「嫌いなもの」は『可食物』ではなく『毒物』と考えていたため,いつものように口に含み,ゲロをしようとしたが,あまりにも不味かったため手洗い場のバケツに吐いてしまう事態となった。これはかなり精神的に追い詰められた。その後は暫く「野菜との戦い2」というよりも「野菜からの大脱走」であった。結論からいうと,野菜は食べ物ではなく,毒物という扱いのままであった。

    4.その他

    小編1.S君との出会い
    大門筋小学校生のS君は皆に対して優しく,立場の揺らがない人間であった。また,お楽しみ会でも積極的に横堀派と大門筋派を引き合わせようとしていたことを覚えている。残念ながら小4終了後,徳島県鳴門市の鳴門小学校に転校してしまった。その時,先生が何かと交換できる「券」のようなものを「良い事」をすると発行していたのだが,その裏側にサインを書いてもらった記憶がある。ちなみにどこにしまったかが覚えていない。また,大門筋派と横堀派の直接対決・戦争は,S君がいたおかげで小5に持ち越されたと言っても過言ではない程の融和を進めることができた。

    小編2.こんにちワンちゃんの歌
    このころYOUTUBEというものが流行し,YOUTUBERという存在が目立ち始めた。とりあえずやってみようと動画として作ったのが,「こんにちワンちゃん」という自作の歌を動画化することとしたが,微妙な仕上がりとなり,計画は頓挫に至った。そもそも始めようとした理由はお金の為である。(現在では総合視聴回数800万回以上かつチャンネル登録者数1000人以上が,収益を得る条件となっているが,当時はそれが無かった為,お小遣い稼ぎとして行った)

    小編3.二条城水路延伸計画
    二条城の水路は当時1mにも満たないものだった(土壌改良工事の影響でさらに小さくなった)ため,新たに作ったり延伸したりして,総延長を3m程度にした。また,学校中から50cm超の石を集め,高さ30cmのピラミッドに集約し,いつでも修復等ができるようにした。しかし,その後何回か破壊されることとなった。

    小編4.花崗岩と大理石事件
    ある日,二条城にて,いつものように水路を朝から一人で(皆来る時間が遅かった為)作っていると,異様に硬い石を見つけ,同じような石で割って見ると,水晶の如く輝く部分と黒曜石のように黒い部分,そして海岸によくある石英のようなものが見えた。当時,学校でそのような石を見たことが無かった為,珍しい石(=大理石)という発想で,「大理石発見!」と騒ぎになったが,大理石は「大丸」というデパートによくある石という事で,調べると大理石ではなく花崗岩であった為,売れる訳も無く,3学期末にS君に渡す予定だったが,結局渡せず,その友達に家のポストに入れるように頼んだ記憶がある。

    小編5.先生の誕生日会計画
    1学期だと思うが,担任の先生のサプライズ誕生日会を皆で計画していた。それに参加する予定だったが,大声で計画の概要を討議していたが為に,呆気なく知られてしまった。しかし,「お楽しみ会」という名目で開催した。これは「司会」なる地位が無く,少しショックであった事は覚えているが,他は特に覚えていない。



    小5編

    1.野菜との戦い3
    これは1年間の話である。1学期には,野菜を残していたのだが,後にも述べるが,「エコヒイキ」の嫌疑をかけられてからは全て食べさせられた。毎日苦痛であった。給食は昼休みに終わらなかった場合,従来では残せていたのだが,5,6時間目まで延長させられ,帰りの時刻に終わる事が多発した。また,他の人は初めは同様の状況であったのだが,徐々に自分だけとなった。その事に人から言われるまでは全く気づかない程追い込まれ,教師の名前は福田だったのだが,その福田に嫌がらせ(見せしめ?)を受けていたらしい。今では一族郎党根絶やしにするまでは二度と許す事は無いだろう。

    2.赤木君との対立
    旧「相棒」の最後の4人のうち,2対2で対立することが発生した。赤木君ともう一人 VS 私と中越君 であった。結論から言うと,決着は付かなかった。度々先生に呼ばれた。ただ,福田と比べれば一つも恨む事は無かった。(=単なる激しい喧嘩?)また,2学期になると,いつの間にか対立は無くなっていた。後に述べる半年の大戦争の影響でそこまで手が回らなかったのであると思う。

    3.転校生による戦争の気配
    転校生の名前は広瀬と言ったが,そいつは土佐塾派閥を構成し,最大30人(=学年の1/2)を超えていたと思う。また,当時最大派閥であった横堀派二条城の10人(=学年の1/6)を超え,さらに二条城会員(?)を吸収していた為,危機を感じていたが,「既に時遅し」であり,土佐塾生=土佐塾派閥広瀬派,また二条城会員は4人に減っていた。(これらのカウントに下級生は含まない)これは後に嫌がらせ等をこちらにしてくる事を許す事となる。また,最初はよい友達であったので,合宿の際も共に徹夜計画を考えた程であった。

    4.運動会の異変と二条城事変
    中越君の親御さんは新しく一宮小(この地名は「いっく」と読む)から代わってきた校長と非常に仲が悪かった。理由は「特認校制度を利用していたため,校区外(学区外)から通っていたのだが,距離が2km超ある為,車で送迎をしており,従来は可能だった事が禁止され,それに憤慨していたから」であった。(結局は戦争の建前であったのだと思う)その結果中越君は運動会を欠席させられるといった事があったが原因は分からなかった。この頃はそれといった異変は無かった。結局,中越君は合宿も休んだ。 また,二条城の活動に教頭楠瀬が私のいぬ間にクローバーを植える運動を組織し,二条城会員がそれに協力するといった事があり,水路制作の邪魔になる為撤去すると,中越君が猛反発するといった事があった。その為に,中越君との対立が発生し,問題の棚上げによって一時的解決をさせた。

    5.夏休みドッジボール大会
    夏休みに平成・掲揚・針山橋小学校の3校でドッジボールの大会が毎年あった。ドッジボールは好きであった為,4,5年生と連続参加した。避ける専門であり,大体最後の1人になった。昨年度は針山橋小学校が優勝していた。1~3年生の部と4~6年生の部があり,トーナメント方式であったが,同じ学校の小4と小6が対戦する事があるようなシステムであり,問題点が多すぎるものであったが,これでも社明運動の一環で行われていたものである。このドッジボール大会には渋谷君と池君等が出ていた。(クラスは関係ない)結局同じ針山橋小学校の小6と対戦し,一撃で消されたのだが,池君はその負けた理由を私に押し付け,胸ぐらを掴み,「お前のせいで負けた」と言い,暴行を加えた(殴る,放り投げる等)のだが,1対1であった為,避ける事ができた。しかし,チーム10人のうち半数以上が一気に攻撃を仕掛けてきた為,上履きのまま外の花壇に逃げ込み,隠れていたが,その内の1人に見つかり,顔を蹴られて鼻血を出すといった事があった。顔を蹴った者はすぐに謝罪に来たが,他の者は謝罪にすら来なかった。とても理不尽である為,「苦しんでいるが死ねない状態」を目の前で晒すような事がない限り,許す事はないだろう。

    6.渋谷君と先生の対立
    渋谷君が2学期になり,福田に対してありとあらゆる事に反発するようになった。原因は多岐に渡ったが,その中で福田が「エコヒイキ」を私に対してしていると言っていた事に関し,反論したのだが,会話にならなかった事を覚えているが,どのような話であったかは記憶にない。ただ,渋谷君は福田に対し全てにおいて悪口のような(=正当なのは福田側)事を言っていた。そのときの私はドッジボール大会の恨みもある為,かなり腹が立っていたと断定できる。しかし「専守防衛」を堅持していた為,少なくともこちらから暴力は振っていない事は確実である。。

    7.スリッパそろえ隊
    1学期に「スリッパそろえ隊」という名の組織を係という名目で結成した。この頃はスリッパを揃える運動(スリッパ運動)を行っていたのだが,度重なる業務拡大により,スリッパを揃えた足数に応じてSP(スリッパポイント)を付与したり,スリッパグランプリという期間中にスリッパを揃える足数を競うイベントを実施したり,不定期でスリッパ新聞(スリ新)を発行したりしていた。また,隊員数は中越君と私の2人から,20人程度へと拡大し,クラス30人のうち2/3がスリッパ隊員となり,係から独自組織への昇格を果たしたが,隊の急拡大の影響で二条城会員も増加し,過去最多の15人となった。その為,二条城の水路計画はあっという間に進行・完了し,新たな計画を何時も考えねばならなくなった。例えば水路を1本から5本に増やす事等,従来の人数では10年程掛かりそうなものを2.5ヶ月で完成させてしまった。また上田城は中越君が城主であったのにも関わらず放棄された状態であったのだが,人員をそちらに投入し,再整理する事や,レンガーコイン倉庫を第三二条城として整理し,秘密基地としたりという事を行った。つまり,スリッパ隊は様々な所でバブル時代の如く過去に類を見ない規模で活動が活発化させた。最終的には暗号通貨のようにSPを現金化できるようにする計画を考えていた(他人には言っていない)程であった。

    8.画鋲事件
    スリッパ隊と渋谷君が裏で繋がり,福田に対し画鋲を仕掛ける計画があった。これは後に「第一次画鋲事件」と呼ばれる事となるが,まず,木曜日に針山MAXという希望者参加の「体育」があったが,その後に画鋲を仕掛ける計画で,中越君が2個仕掛けたのだが,(私は周りの監視役)その後渋谷君ら土佐塾派が13個に作り変えており,結果として内密者による発覚で失敗したという事件であった。「第二次画鋲事件」は,水曜日(10月20日頃であったと思う)にスリッパ隊の女子2人と共に画鋲を20個程度仕掛けたものであったが,その翌日,川崎という大門筋派のボス女子のような奴に画鋲が仕掛けられる(個数は不明)という事件があった。さらにその日の2時間目に中越君の机に画鋲が仕掛けられ,その前の座席であった私が疑われた。そのため,教室のあった4階から1階の倉庫に連れて行かれ,(教頭と校長が2人で廊下・階段を引きずった)その後何時間か覚えていないが,拷問に近い尋問(?)を受け,永遠に出してもらえないと思い,やってもいないのにも関わらず,(スリッパ隊の女子2人が証人であると言ったのに嘘であると一蹴された。)結局2人に画鋲を仕掛けたと認める羽目となり,謝罪させられた。これにより,校長鹿嶋と教頭楠瀬,ボス女子,中越は二度と許されないリストに入った。(後に,川崎・中越はそれぞれ自ら行った犯行であると判明したため。)また,ボス女子と中越は土佐塾派閥のNo.3という地位に就いていた為,厄介であった。(中越からの後の聞き取りによるとNo.4は成岡という大門筋派出身者であり,中越本人はNo.3ではないと主張。)

    9.半年に渡る大戦争
    「第二次画鋲事件」により中越君らのスリッパ隊の一部や土佐塾派との関係は最悪となり,嫌がらせをしてきた為「宣戦布告か」と聞くと「宣戦布告とは国同士の戦争開始宣言を指す」と揚げ足取りをしてくる等の私の腹を立てる行動を繰り返したが,「専守防衛」を徹底し,その結果,向こう側から「宣戦布告」も無しに戦争に突入した。「第一次和平交渉」では,こちらはクラスで1人,向こうはクラスで20人以上という不利すぎる状況であった為,こちらから要請したが,相手にすらされなかった。しかし,戦争中期(12月頃)にこちらが学校内に限り優勢となり,(二条城下級生隊員150人のうち一部の動員による。クラス内では変わらなかった。)「第二次和平交渉」をこちらから持ち掛けたが,要求内容(完全降伏と服従)に従わず,さらに「降伏と武力放棄及び服従」を要求してきた為,決裂した。また,和平交渉期間中は停戦が形式上行われた。(向こうからの攻撃はあったがこちらは攻撃の一切を停止した。)3学期になっても戦争は続き,両者の総力戦となったが,学校内では優勢(こちら150人,土佐塾派30人,教師30~40人程度)だがクラス内では圧倒的不利,クラス全員が敵(但し一部は講和中であった)となり,両者拮抗状態となり,こうして三つ巴合戦(学校,同級生,私達)が始まった。

    10.中越君の裏切りと戦争末期,スリッパ隊解体
    中越君は元二条城副城主でもあり,敵のNo.3に位置していた(No.1は渋谷,No.2は広瀬)為,「第二次和平交渉」の中核に立っており,両者の仲介に入っていたが,決裂の原因が中越君の裏切りであった。また,スリッパ隊の維持も困難となり,SP制度やスリッパグランプリは破綻し,スリ新は紙飛行機になるといった状態となり,(スリ新は中越君と数人の女子の管轄であった。)スリ新に寄せていた漫画は漫画欄の閉鎖により停止し,スリ新はスリッパ隊の活動報告やSP制度案内ではなく戦争の(土佐塾派の)正当性主張に変わり,「スリッパ隊によるバブルの如き活性化」は逆回転を始めた。その為,スリッパ隊の隊長であった私はスリッパ隊の解体を宣言し,和平交渉の決裂が明確に定まった。また,スリッパ隊の解体後は,二条城に対する戦争となり,下級生を巻き込んだ戦争が始まった。広瀬が副大将であった為,広瀬が下級生(小1)を10~20人引き連れ,「攻撃が出来ないように」二条城に攻め込んできた。投石攻撃等によって北側(二の丸,タイヤ門)が陥落したが,なんとか防ぐことはできた。こちらからは反撃を辞めるよう指示した為,大損害(怪我)を負った。(防御は指示)

    11.二条城落城と奪還
    広瀬部隊の二条城攻略失敗により,二条城を知り尽くした存在である中越が,今度は二条城征討大将となり,山上君(大門筋出身)を洗脳し,(マインドコントロールに近い),その他の中越の手勢(7~10人)で西側から攻撃し,突然の攻撃が予想外であったこちらは北側にあった武器(砂)を西側に放り投げ,砂煙で徹底抗戦したが,手薄となった北側から攻め込まれ,呆気なく落城した。また,投石攻撃や山上君等を使った「特攻」も行われた。(砂煙を防ぐ盾・囮とし,別途攻撃をする)また,こちらは投石攻撃はせず,砂による攻撃に依存していた為,(石では必要以上の攻撃をし,和平交渉に不利な可能性があったことと,攻撃用の石は集めるコストが高い為)落城後も暫く手出しが出来ない程(組織として)重傷であった。その後,上田城に移り,反撃を指示し続け,遂に2日後の20分休みに奪還した。その影響もあってか,長期に渡る戦争の結果,敵の総大将渋谷が失脚した。(失脚は後で知った)そして,トップ争いが始まり,敵は空中分裂した。

    12.停戦合意
    2月頃だと思うが,「第三次和平交渉」の結果,事実上向こう側の降伏という形で講和を結んだ。つまり,半年の戦争に「事実上」勝利したのであった。しかし,戦争で失ったものも大きく,信頼できる友達等は全て失った。また,敵は渋谷失脚で広瀬が指揮し,池が武闘派トップ,中越が文治派トップであった。その後の渋谷は一時「元・大将」として影響力を誇っていたが,組織の内部分裂に巻き込まれ,いじめられたらしい。勿論,停戦の目的は対教師連合の結成であった。三つ巴合戦となると,兵力を両方に裂かねばならず,結果として教師陣営に有利な状況となり,勝ち目が無かったからであった。また,対土佐塾派の戦争に生産性が無く,相手が降伏しない事は明白であったからであった。(敵も絶対降伏しない事は分かっていたと思う)

    13.対教師連合と教師陣の戦争
    停戦により,福田や鹿嶋・楠瀬へ総力戦を挑む事となった。まず,旧敵派閥である土佐塾広瀬派が連日のように紙飛行機を作り,投げる事を繰り返していた。それに対し,差し押さえという手段で対抗してきた為,「大量増産」にクラス一丸となって協力し,広瀬派の紙飛行機大量購入が始まった。その結果,1日100機以上は取引に出されるようになった。どれもあってか,紙飛行機を売りに出すと一瞬で売れるようになった。こうして,1ヶ月に渡る紙飛行機バブルが始まった。紙飛行機バブルでは,1機0.1円であった価格が1円に上がり,(循環取引によるカルテル的値上げも横行し始めた程)買えば上がるようになり,市場(?)に出回る紙飛行機は少なくなり,更に価格上昇し,高値で売ろうと思えば品質を上げて1機10円で売ったりできるようになった。一方で,原料である紙(学級通信とか)を集め,200枚100円(=1枚0.5円)で売る者が現れた。結果として,バブルが崩壊する事は無いように思われた。しかし,差し押さえされた約5000機を超える紙飛行機のうちごく一部である約1000機が担任の机全体に所狭しと詰め込まれており,私はそれを発見し,売りに出した所,価格は下がり始め,紙飛行機を「即買い」することを条件に30機を1円で買い取っていた友達が金欠となり,高利貸しが現れたり,紙飛行機を人を雇ってまで生産していた友達がこれまで貯めた10000円程の利益が全て人件費に消え,さらに負債を抱える,ということが頻発し,私も紙代が少し利益を食いつぶした(1000円程)が,2000円程残った記憶がある。

    14.逃げた教師陣
    画鋲事件(第二次)の冤罪に対し,新聞社や放送局に知らせてやろうか,と思ったが,証拠が無く,突きつけるにしてももみ消される可能性が高い為,この冤罪を口実に教師陣と戦うこととした。また,高知市の教育委員会にも知らせたのだが,しらばっくれられた。また,教頭楠瀬と福田はそれぞれ別の学校へ移ることとなった。これにより,教師は大事に至る前に「脱出」したのであった。また,楠瀬は「クズノセ」と呼ばれるようになったが,私の付けたあだ名である。

    15.小6消滅(=卒業)
    当時の小6は私にとって厄介な存在であり,二条城創設(結成)時よりの宿敵であった。戦時中も二条城襲撃にやってきたり,ダンゴムシ保護活動と称した水路作りの邪魔等をしてきた。そんな連中が目の前から消えた事は,とても心地が良かった。また,20対1(私のみ)で石合戦となり,ボロ負けとなり,血まみれになった事をよく覚えている。また,2学年上には(当時中1)味方がいたのだが,その卒業後(=4月~)には横暴な強奪のようなマネもされた記憶がある。結果,ついに最高学年となった私は小学校の「天下統一」を自動的に成し遂げたのであった。

    16.小5終了後
    友達と二条城小5会員の多く,そしてスリッパ隊を失ったこの戦争では,もはや「事実上の勝利」しか残らなかった。また,中越は徹底抗戦の構えを見せたが,後に奴は「こちら側のスパイであった」という事にして勝手に擦り寄ってきた。私はとても腹が立ったが,良い復讐の機会を待つ為に,あえて泳がしておいた。結論,小6では二条城再興に向けて「表向きの協力」をする事となる。

    小6編は好評であれば公開。


























                               Presented by mrk2009


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